ドーダ理論を語用論に適用すると『煩悩の文法』になる

今わたしが注目する鹿島茂さんの世界最強のセオリーがドーダ理論である。

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「ドーダ」とは「自己愛に源を発するすべての表現行為」のこと。
世の中の人間は上から下までみんなドーダを人に発することを生きがいにして生きている。
(実際わたしも今こんなBlog記事を発しているのが情けないが事実である。)


そしてそれが最新の認知言語学の知見でも裏付けられるのだからは面白い。
認知言語学の教科書でお世話になっている定延先生の新著の新書!である

定延利之:煩悩の文法―体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話-ちくま新書2008
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分析哲学系の言語の取り扱いでは、ずっと「文=世界の記述」理論だったわけですが、
オースティンの言語行為論によって、文から「発話=世の中への働きかけ」への大転換が起こったわけです。そして、ついに、我らが鹿島茂(というか本当は東海林さだお)のドーダ理論によって、発話から「自慢=他者への自己の認知」こそが言語の最大の存在理由がと示され、実際にそれが言語学者の定延さんによって定式化されつつあるというわけ。

(コンピュータの世界でもWinogradらに触発されてLAP(Language Action Perspective)にもとづくコミュニケーション・デザインということが一部では言われているが、道遠し。
痒い=Itchyな人たちは何のことかわかりますよね)


いやー、興味深い。ドーダ理論がまさかハードサイエンスともいえる言語学にまで応用が利くとは驚き桃の木。。。柿八年、ゆずは9年で成り下がる、梨の馬鹿めは18年(by大林:時かけ少女)


PS 煩悩文法本の簡単な紹介は以下⇓
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080725/166293/